第1回 プロを目指して

スイスで「私もフェデラーに続くテニス・プレヤーを目指すんだ」とひそかに心に誓った日 本人の少女がいた。現在24歳の宮崎百合子(リリー)さんは、3歳から日本でテニスを始 め、5歳でお父さんの転勤でスイスに渡り9歳まで暮らす中でテニスが大きなウエ イトを占めた。同国の世界的なテニス・プレイヤー、ロジャー・フェデラー選手の影響が 大きかったとリリーさんは語る。その強さはもちろんだが、フェデラー選手がオフ・コー トで示す人間としての在り方に強く惹かれたのだと。リリーさんのテニスは、それをきっ かけに形作られ始めた……。全3回シリーズ。

飯塚 今テニスのプロの世界ランキングでどのような位置におられますか。

リリーさん 現在は500位くらいです。大学の修士課程を昨年の春に卒業して、プロとしての道を歩み始めたばかりですので、これからランキングを改善することになります。

飯塚 ウィンブルドン出場を目指されるという大きな目標をお持ちだというのはお聞きしていましたが、世界のテニス界の檜舞台に出場するにはどのような条件が必要なのでしょう。

リリーさん ウィンブルドン予選には世界ランキングが200位以内に入らないと出られないのです。私は2年以内にこの目標にたどり着きたいと思っています。ランキングを改善するには、世界各地で開催されている世界プロテニス協会が認める試合に参加し、各大会で良い成績を上げて一歩一歩階段を上がるように、ランキングを上げていくことが必要です。

飯塚 テニスのプロで世界的に有名な選手の多くは、大学には行かず高校生くらいからプロを目指すパターンが多いと思います。例えば昨年ウィンブルドン選手権で活躍した米国人選手のコリ・ガウフさんは現在15歳です。リリーさんは大学、しかも修士を取得してからのスタートですが……。

リリーさん 私は最初から大学へは行きたいと思っていましたので、プロに入るタイミングについては全く気にしていませんでした。大学にいる間にテニスのスキルを十分磨いてからプロになりたいと思っていましたし、今はこれまで学んだことが大きな糧になっていると
感じています。

飯塚 スイスでの4年間の後、日本に帰国し、日本の小学校に通いながら、放課後は自由ガ丘インターナショナルテニスカレッジでテニスに没頭。その1年半後にはお父さんの仕事で渡英し2006年から今日に至るまで滞在、そしてこの間14年から19年までは米オクラホマ大学へテニス奨学生として留学されました。生活環境が短期間で変わりましたね。

リリーさん それぞれ国の文化が違いますから最初は戸惑うこともありましたが、私はどこにいてもテニスが生活の中心にあるので、すぐにその生活環境に慣れました。英国に来たばかりの頃は英南部サリーのサットンにあるサットン・テニス・アカデミーに入会し、毎日がテニスを中心とした生活でした。

飯塚 当時は日本でいえば中学生、英国ではGCSEの勉強もしなければならない頃ですが、学業との両立はどのように?

リリーさん 実は、中学の途中でパートタイムの学生になれるように学校と交渉をして、許可をいただいたのです。アートや体育関連の授業免除を得て、その分テニスに集中できる時間を最大限に増やしたということになります。また、この頃からジュニアの国際テニス大会に出場できるようになりました。欧州での試合にも多く出られるようになって、テニスが以前にも増して楽しく、自分の目標により焦点が合ってきたように感じました。


本コラムの過去記事は、下記アドレスでご参照いただけます
www.centrepeople.com/japanese/article

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