第3回 もはや社研を見限るべきときだ

飯塚: 第1回、2回で、経済学の分野における「世界の森嶋」 として、そして正義、信念に軸足を置かれた生き方をされ たプリンシプルを全うされた人物としてお話をしていただきました。本日は英国に生活の軸を置くという決心をされるまでの背景についてお話をお聞かせいただきたいと思います。

瑤子さん: 森嶋は1950年、京大で経済学部助教授となりました。戦後左傾化した京大経済学部では周囲の人たちが 自分のプリンシプルを持たず、都合の良いときには右につ いたり、時には左についたりとプリンシプルのない大混乱が巻き起こっていただけでなく、森嶋自身、学問的にも自分の立ち位置が見えなくなり、新設されたばかりの阪大に移りました。その3年後、高田保馬学部長が創設した社会 経済研究所(社研)に最初の所員として移り、助教授でしたが専任者として働くことになったのです。

飯塚: 戦後まもなくのことで現代の人たちには遠い昔の話のようですが、同様なことは今の社会でもありそうに思えます。その場その場での和を貴ぶ傾向が日本人には多いた め、プリンシプルを通そうという人は足を引っ張られるということにつながるのですね。

瑤子さん: 社研では高田先生がご高齢でしたから、森嶋 が実質的な責任者として働き始めました。集まった人たち は当時の日本の経済学界の最先端をゆく精鋭で、外国からも注目された近代経済学のグループでした。そこで森嶋は実力主義、是ぜぜひひ々非々で物事を進め、友人、教授会をも巻き込んで大いに論争をするようにし、世界に通じる経 済学を日本から発信しようと壮大な夢を持って取り組んだのです。1960年には関西経済連合会(関経連)の支援を得て、阪大社研とペンシルバニア大学による共同編集の 「International Economic Review(IER)」を創刊しました。

飯塚: 戦後色もまだまだ色濃い1960年代は、明治維新からの日本の発展基盤であった、物事を外国(西洋)から学ぶという哲学が当たり前だったと思います。そんな時期に、 世界に通じる経済学を日本から発信しようと考えられた森嶋さんは、実力をお持ちであるだけでなく型破りな方だっ たのですね。

瑤子さん: 筋を通すということをプリンシプルにした森嶋とは、軋轢が生じた同僚もいました。そんな難しい局面でも森嶋は何とか社研を世界に通じるものにしようと最大 限の努力を惜しんだことはありませんでした。森嶋が社研にいた1965年、42歳のときでしたが、世界の著名な経済学者がメンバーとなっているエコノメトリック・ソサエ ティー(ES)の会長に推されて就任。日本では当時、今でもそうかもしれませんが、40歳代はまだまだ若輩者で、日本の学界の会長などは夢の夢だったのに、世界的な経済学者の集まるESの会長に就任したわけですから、森嶋の経済学者としての活動のためには僥 ぎょうこう倖ではあったのですが、 一方で日本の同僚とは感情的な緊張が高まってきていたようです。森嶋が社研を辞めた後で、そのころの出来事は「妬みが根本にあったのがよく見えました」という話を第三者 から何回か耳にしましたので、そうだったのでしょう。

飯塚: 森嶋さんは日本国内よりも海外で高い評価を受けておられたのがES会長就任にもつながったのだと思いますが、実際にはどのような対立があったのですか。

瑤子さん: 社研での対立は、森嶋自身が実名でメモワール に書いています。発端はその同僚が社研の非常勤研究員だった際に教授会で専任助教授にという提案がなされたことです。森嶋としては、彼が戦時中は皇国思想であったにもかかわらず、戦後間もなくフルブライト留学生として米 国で博士号を取った変わり身の早さと、その後も新右翼として行動していたということから、実質的な運営責任者として社研の将来に思想的な対立が生じることを懸念してこの人事案に反対したのですが、その時点で助教授職であった森嶋の意見は採用されずに教授会で決定されたのです。

飯塚: どこに軸足があるかということは行動のすべてに通 じるとお考えだった?

瑤子さん: 理を主張すればするほど相手は和に走り、森嶋の不和をなじるような状況が生じ、森嶋が中心になって設 立された社研はついに爆発して、森嶋は理が貫ける国であ る「英国」に向けて飛び出した、こういうことになります。 森嶋は、日本の会社で起きる不祥事は「筋」を通すという スピリットが欠如しているからだと厳しく指摘しています。 人々は理よりも和による保身を考える。そしてそういう行為が蓄積して大罪が起こり、組織が崩壊するのである、と。 このように「理」による考え方を自分の生きる原点に置いて 物事に当たってきた人でした。

第3回 もはや社研を見限るべきときだ 本コラムの過去記事は、下記アドレスでご参照いただけます

www.centrepeople.com/japanese/article