第1回:ある日突然、襲ってくるもの

ー脳梗塞からの生還ー 第1回 -

私が原田豊さんを存じ上げるきっかけとなったのは、1996年、英国ニュースダイジェスト誌の人物紹介欄に原田氏が登場されたときだった。 原田氏は当時、日系鉄鋼メーカー欧州社長の任期を満了し、ロンドンでビジネス・コンサルタントとして、ビジネスを立ち上げたと述べておられ、一流会社から新たな飛躍をされた原田氏の姿が深く印象に残っている。 今回は、2016年に脳梗塞を発症された原田氏がいかに病を克服してきたか、原田氏の人生の三角波をお聞きする、全5回シリーズ。 (センターピープル代表取締役 飯塚忠治)

2016年12月29日の早朝、 原田氏(上)は突然、脳梗塞に襲われ救急車で病院 へ。それからほぼ一年半 が経過した。7カ月に及ぶ 入院生活の後、現在は自 宅でご家族の温かいサポートはもとより、医療関係者の協 力や多くのご友人の励ましの中で、不自由になった身体の 回復に向けリハビリに励んでおられる。2018年3月、春 の陽光の中で少しずつ回復を実感し、明るい兆しを感じら れている原田氏。そんな同氏に、奥様の美弥子さん(同中)、 お嬢さんの智美さん(同左)と共にこの一年半余りを振り返 り、脳梗塞、入院、そしてその後について、体験をお話し いただく。脳梗塞はそれなりの年齢になると誰にも発症す る可能性がある疾患。原田氏は、ご自身の体験が読者の皆 様のお役に立てばと、この対談を快諾してくださった。

飯塚 今回は原田さんご自身についてお 話しいただけますこと、本当にありがと うございます。早速ですが、そのとき何 が起きたかどのように覚えていますか。

原田さん いえ、倒れるという感覚以外は何も覚えていな いのです。

美弥子さん (本人は覚えていないと言っていますが)入院 後、連日にわたり朦朧とした意識で、言葉も意図した通り に話せない中、救急病棟のベッドの上で必死に何かメッセー ジを伝えたがっていることだけは分かりました。メッセー ジのパーツを組み合わせていくと、それはとにかく仕事関 係の方に迷惑をかけないよう、正月休みが明ける前に連絡 をして欲しいというメッセージであること分かりました。

飯塚 そうでしたか、そのような状態であったのに、人様 に迷惑を掛けられないという潜在意識が言わせた言葉です ね。昭和の高度成長期から日本経済を背負ってこられた年 代の方の責任感の強さを感じます。

美弥子さん 最初はこちらの言っていることが理解できて いるのかどうかも分かりませんでしたし、発している言葉 もあまり意味をなしていなかったので、コミュニケーショ ンがどこまで取れているのか不安でした。ただ、言葉を発 する・止めるのタイミングで、日本語・英語ともに、ある 程度こちらの話を理解しているらしいことが分かったのと、 発している言葉の強弱で大切なメッセージなのかどうかが 判断できました。

飯塚 普段あるものが突然、目の前から奪い去られる、コ ミュニケーションができなくなるということは、想像を絶 する状況だったと思います。脳梗塞は発症する前に何らか の症状、ろれつが廻らないとか、顔の筋肉に張りがなくな るとか、そんなときにはすぐに999で救急車を呼ぶという テレビのPRを数回見たことがあります。原田さんの場合 は何かありましたか。

美弥子さん 倒れる前日の午後、頭部に少し異変があると 原田が訴えました。緊急ではないようでしたが、一応GP に往診を依頼。ドクターは歩いて来られるようならGPに 来るようにとのことでしたが、車で行きました。その日は そのまま帰宅しましたが、翌29日の朝、突然洗面所で倒 れ、そのまま救急車で病院へ。夫は普段健康体でしたから、 病院に運ばれて検査をしてもらっている間も脳梗塞だとは 思ってもおりませんでした。検査の後、事の重大さに驚き ましたが、まだ実感はありませんでした。徐々に将来を思い、 目の前が真っ暗になったことを覚えています。

飯塚 本当に厳しい現実の状況の中に置かれたのですね。 その日は、智美さんはご自分の家におられ、事の急をお母 さんからお聞きになって駆け付けられたのでしょうか。

智美さん いえ、父が倒れた日は家族で実家にいました。 普段とても早起きな父ですが、前日具合が悪かったことも あって、いつもより少しだけ遅く起きて来ました。それ以 外はお正月を3日後に控えた、例年と変わらぬ日常的な年 末の光景でした。ただ一つだけ、洗面所から聞こえて来る 電気シェーバーの音に若干の違和感を感じました。前日の こともあったので様子を見に行こうと思った次の瞬間、洗 面所でドサッと倒れる音。慌てて救急車を呼びましたが、 本人は意識があり、そのときは大丈夫だと言っていました。 ただ後から聞くと、倒れたところまでは覚えているけれど、 大丈夫だと言ったことは覚えていないそうです。救急隊到 着後、母が救急車に乗り、私は後から電話で状況を確認し た上でどうするか決めることにしました。

ご友人からのお見舞いの短歌

君を慕ふ 友皆深く 祈るゆゑ 癒ゆる日は来む 花咲く頃に (歌人 渡辺幸一さん)

本コラムの過去記事は、下記アドレスでご参照いただけます www.centrepeople.com/japanese/article

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