第2回 泣く子と地頭には勝てない

飯塚: 森嶋さんの幼少期のことはお聞きになっていますか。

瑤子さん: そうですね、本人から聞いたというよりも森嶋の母親から、森嶋がどのようだったか聞きました。小さなときからどうも言い出したら聞かない性格だったらしく、 両親はこの子の将来は一体どうなるのか危ぶんだと。でもこの性格が、森嶋の人生の土台だったようにも思います。 一旦言い出したら聞かないというのは、聞き分けが良くな いとかそのようなことではなく、森嶋の思うところから外れたときに、筋を通そうとするところにあるようでした。

飯塚: プリンシプル、ですね。あるところに軸足を置き、 そこから離れない生き方をするのは誰にも簡単にできることではないのかもしれません。

瑤子さん: 森嶋の軸は、森嶋が自伝で書いていますように、 戦後すぐのことですが、「反皇国史観、反マルクス主義だからこそ出来る一種の正義感があり、それに反する事態に遭遇するとひるむことなく、明確な態度を取ってきたのである」というものです。具体的なことはこの後でお話いた しますが、森嶋が夏目漱石の書いた本「野分」を例に取りながら、このように締めくくっています。「なぜ日本では正義感と物質的幸福が両立しないのに英国ではほどほどの両立可能であるのか」。このテーマが森嶋の人生であったのかもしれませんね。

飯塚: プリンシプルを貫こうとすれば様々な壁に当たると思いますが、具体的なお話をぜひお聞かせいただきたく思います。

瑤子さん: 森嶋は、人間にとって一番大事なのはインテグリティー(誠実)を保つことだと言って、浪高(旧制浪速高 等学校)時代の修身の時間のことを著書で紹介しています。 先生が「君たちの中に生まれてから一度も嘘をついたこと がない人がおりますか、いたら手を挙げなさい」。もちろん 皆シーン。「そうでしょう、誰もいないでしょう。嘘をつか ないという簡単なことでも人間はなかなかできないもので す」と追い討ちをかける。そしてそのあと、「なぜ正直でなければならないか、誠実とは何であるか」という話になる。 こんな話があったタイミングで、浪高の入試収賄事件が朝日、毎日新聞のトップで大々的に報道されました。校内で大変な騒ぎとなったのはご想像いただけると思いますが、 中でも森嶋にとってショッキングだったのは、例の修身の先生も収賄側の一人であったということのようでした。インテグリティーのなかったこの先生は罷免処分になりまし たが。

飯塚: 良いことばかり言う人は眉唾ものということでしょうか。ところで中国でも少し生活されたご経験があるとか?

瑤子さん: 森嶋の父親が中国で働いていましたので、中国 に父を訪ねたというのが正しいと思います。森嶋は高校生になって神戸で生活をしていました。高校1年の夏休みに北京に住む父親を訪ねたとき、列車の中で起きたことが頭に焼き付いているらしく、自伝に書いていますからご紹介します。これも森嶋の生き方を表していると思いますので。 「私は国際列車の三等車に乗っていた。当時日本人は三等車に乗るなと言われていたのだが……私の車輌には数人の日本兵監視兵が乗っていた。私が立っているのを見ると、 私に座れと言った。『いいです、これで』。『座れ、こいつを 立たすのだ』と座っている中国人の一人を指差した。『いい です、僕は若いのですから』『いかん、日本人は座るのだ』。 そして兵隊は中国人に立てと命令をした。命令された中国人はまごまごしていたが、兵隊は剣を抜き中国人を脅した。 ほかにも似たようなことがあったが、いまだに忘れられない不愉快な思い出である」。

飯塚: 正義感が強く、差別を最も嫌った森嶋さんご自身の生き方を、昔のことを思い返しながら、臨場感を伴って表現されていますね。

瑤子さん: 生き方としては、世間一般からみると激しい方であったと言えるかもしれません。阪大のある教授は私 に「泣く子と地頭と森嶋君には勝てまへん」と言われましたから。信念があり、それをずっと持ち続けられれば物事を 成し遂げることができると信じていました。そして森嶋は、 自伝の中であえて対立のあった人の実名を挙げ、なかなか 難しい事柄を書いています。森嶋は人を「プリンシプルに 沿って行動する人とそうでない人がいる」と明確に述べています。「いわゆる積極的な悪人や有徳の士が前者だが、 そのほか多くの、普段は善人だが、気が弱いためいざというときには道徳的に腰抜けになってしまう人」と。

飯塚: 次回のお話は身を引き締めてお聞きします。

本コラムの過去記事は、下記アドレスでご参照いただけます 。www.centrepeople.com/japanese/article