第1回 The Morishima

20世紀後半、世界的な経済学者とし て英国の名門大学で教授職を務められた森嶋通夫氏。私が森嶋さんを知っ たのは学生時代、同氏の著書を読んだのがきっかけだった。毎日の忙し さに森嶋さんのことは記憶の彼方にあったが、約2年前にあるレセプションで森嶋さんの奥様、瑤子さんと出会ったことから再び同氏の在りし日の活躍に思いを馳せるようになった。 森嶋氏の人生の三角波を瑤子さんからお聞きする、全6回シリーズ。 (センターピープル代表取締役 飯塚忠治)

飯塚: 森嶋通夫さんはノーベル経済学賞の候補と目されたような方で、20世紀後半の経済学者の中では知る人ぞ知る高名な方ですが、現在ロンドンにお住まいの方でお名前をご存知でない方もいるのではないかと思います。まず、森 嶋さんとはどんな方だったのか、お聞かせいただけますか。

瑤子さん: 森嶋のプロフィールをお読みいただきますと経歴が分かりますが、海外での仕事としては、1968年からエセックス大学に2年契約で客員教授として在籍したのが始まりです。幸運なことに着任早々、ロンドン・スクール・オブ・ エコノミクス(LSE)からほぼ2年先の次期教授ポストの話があり、このような形で私たちの英国生活が始まりました。

飯塚: 海外で経済学を教えるには、英語もかなりできなければならないと思いますが……。

瑤子さん: 森嶋は読み書きは別として英会話が大の苦手で、 当初は海外に出るつもりは全くなかったのですよ。でも阪大時代の1956年、ひょんなことからロックフェラー財団の支援でフェローとしてオックスフォード大学に1年間、留学で きたのです。このとき米エール大学にもフェローとして数カ月留学、その後に帰国しました。それから5年が過ぎ1963 年にも再びオックスフォード大学の客員研究員として1年間、続いて米スタンフォード大学に半年間在籍しました。

飯塚: その4年間で、英国の大学において英語で教鞭を執 れるようになった!

瑤子さん: 森嶋は高校生のころ、会話能力を磨かない英語の勉強は無意味と思い、兵庫県浜芦屋にある英国人家庭の、彼より2、3歳年長の男子に会話を習っていたそうです。第 二次大戦の始まる2年前のことです。しかし英国人排斥運動が起こって大勢の人たちが提灯を持って集まり石を投げたりするので、先方から森嶋に迷惑が掛かるといけないからと言われ勉強はストップ。本人に言わせると英会話能力はほとんど未開発に終わったということです。

飯塚: ロ財団の選考では英語の面談もあったのでは?

瑤子さん: 英会話が駄目というより、とにかくこの話を断りたい一心でしたから、「絶対に英語は話さんぞ」と言って面接に出掛けました。森嶋の面接と所属研究室の審査を兼ねてニューヨークから来訪されたロ財団のエバンズ氏が、通 訳をしていた同僚を介して所長の高田先生と話をしている間は我関せずと黙り続けて、面接になっても最小限の日本語で答えていたのが、とうとう「経済学の専門は?」と問わ れて「ダイナミック・エコノミクスと言うてしもうた」と悔しがっていました。

飯塚: 世界的に著名な経済学者の海外との最初の関わりがそうだったと考えると、森嶋さんが身近に感じられます。

瑤子さん: この場面でもう少し面白い話があるので話しますね。面接時には当時の学長が途中で入ってきて「アイ・ア ム・ザ・プレジデント・オブ・ユニバーシティー。メディカ ルマン」と言いながら腕まくりをする真似をして、「インジェ クション、シュシュ」と言ったらしいですよ。森嶋もこの場面を見て気が楽になったと言っていました。

飯塚: ちょっと噴出したくなる場面が学者の世界にあったということをお聞きすると、なんだか温かい気持ちになります ね。こうした経緯があったにも関わらず、財団からフェロー にするという通知がきたのですね。森嶋さんのそれまでの業績が影響したのでしょう。それを伺って以前読んだ文章を思い出しました。日本では先生に「たてつく」ことなど考えられなかった時代に、大学院学生だった森嶋さんは米国の高名な経済学者ポール・サムエルソン教授の論文に間違いがあると気付き、京大の指導教授に批判論文を学術誌に送りたいと相談したら、そんなことをしたら世界の経済学界で非難されるから止めるように言われた。それなら森嶋個人としてすればよいだろうと、サムエルソン教授に直接送ったところ、「指摘された論点は大変良いから学術誌に送った」 というむしろほめる内容の手紙が神戸の自宅に届いた。そこで森嶋さんは一流の人は批判を歓迎するものだと感じたというものでした。こうしたことがきっかけで、森嶋さんのお名前はむしろ海外で知られていたのですね。

瑤子さん: 森嶋は自分では何も言いませんでしたが、その後には海外の経済学者の中では良く知られた存在になって いたようでした。LSEで森嶋を教授として招聘しようという話があったとき、ある経済学者が会議で「その彼はThe Morishimaか?」と聞いたという話が回りまわって私たちの耳にも入ってきました。

飯塚: The Morishima、世界の森嶋さんですね。

本コラムの過去記事は、下記アドレスでご参照いただけます 。www.centrepeople.com/japanese/article

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森嶋通夫略歴

もりしま みちお:1923年~2004年。大阪府生まれ。京都帝国大学経済 学部経済学科在学中に徴兵。軍では暗号解読を担当した。戦後、京都大 学助教授、大阪大学教授を経て1968年に来英し、エセックス大学、ロン ドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の教授を歴任。ノーベル経済 学賞の候補者とも目された世界的な数理経済学者。

森嶋瑤子略歴

もりしま ようこ:1930年神戸生まれ。東京女子大学数学科(旧制)卒業 後、日立製作所中央研究所助手、大阪大学経済学部助手などを務める。 1968年に家族とともに来英し、以後、英国在住。1984年、国際児童文庫協会(ICBA)を東京で創設したオーパル・ダン氏とロンドンで出会い、 日本語の文庫活動を始め、ICBA UK支部を創設。以後、支部長を務める。